看取り
今日は、晴れの予報だったと思うんですが、なんだか薄暗くて風が冷たい我が家周辺です。一応住所は市内ですが、旧郡部なので市の天気予報とは、ずれがあるのかもしないです。
昨日の日曜日、わたくしとオットはちょっこしお出かけ。“ゆうすけ”は留守番でした。お土産に買った「ロープベア」
右目と左耳にご注目。前回の金太郎(ご存じない方はリンクをクリック)の悪夢ふたたび・・・。与えて数時間で、耳はほぐれ、右目はむしられてしまいましたとさ。半分はロープベアで引っ張りあいっこしたオットのせいでもあります。あとどのくらい形を保っていられるのか心配です・・・。
☆彡・‥… ☆彡・‥… ☆彡・‥… ☆彡・‥… ☆彡・‥…
さて、今日はちょっと重いタイトルをつけました。その理由は・・・。
いつも楽しみに読んでいるわんこのブログ『十兵衛 ミネソタでの和犬の生活』(みたい方は検索お願いします)で、老犬の病気・介護など、飼い主さんが綴っておられます。辛い話もたくさんありますが、その中でも楽しみを見つけて歩いていらっしゃる姿に頭が下がります。そこで、老犬と暮らすことについて考えていたとき、タイムリーにもmomomamaさんのブログ『柴犬ももと仲間たち』で新聞に載っていた老犬についての話(元記事は→こちら)を読みました。
私自身も新聞の投稿ページは見逃していたので、もう一回開いて読みました。「苦しむ姿は見たくない」その気持ちはとても理解できます。でも、目の前からいなくなっても苦しんでいるのには変わりありません。楽になる(ような気がする)のは自分だけです。自己中心的です。わたくしは、本当に愛するならば、その苦しみを引き受け、一緒に苦しんでやるしかないと思っています。
現代は、老いること、死ぬことは不幸でかわいそうという風潮があり、『死』を言葉にすること、『死』に向き合うことを避けてきたように思います。私はそうは思いません。自分の両親、動物たち、いろいろな死に立ち会いました。語弊があるかもしれませんが、生とは反対に、死は穏やかで荘厳で美しいものです。とても悲しいことには違いありません。でも、『死に向き合うこと』は、悲しさ以上に『生きるということ』を再認識させてもくれます。
書いていて、今まで立ち会った死を思い出し涙が出てきました。自分の力不足であったこと、もっとこうすれば良かったという後悔、きりがありません。でも、『死』に立ち会わない方が良かったと思ったことはありません。うまく言葉では言い表すことができないのですが、ぜひ『死』というものをタブー視しないでほしい。『看取り』から逃げないでほしいと思います。
虹の橋のたもとで待っていてくれる子たちに胸を張って会うためにも、私は最期までそばにいます。最期になって慌てないためにも、元気なうちに我が子の老後・死というものを考えることも大切だと思っています。
昨日の日曜日、わたくしとオットはちょっこしお出かけ。“ゆうすけ”は留守番でした。お土産に買った「ロープベア」
右目と左耳にご注目。前回の金太郎(ご存じない方はリンクをクリック)の悪夢ふたたび・・・。与えて数時間で、耳はほぐれ、右目はむしられてしまいましたとさ。半分はロープベアで引っ張りあいっこしたオットのせいでもあります。あとどのくらい形を保っていられるのか心配です・・・。
☆彡・‥… ☆彡・‥… ☆彡・‥… ☆彡・‥… ☆彡・‥…
さて、今日はちょっと重いタイトルをつけました。その理由は・・・。
いつも楽しみに読んでいるわんこのブログ『十兵衛 ミネソタでの和犬の生活』(みたい方は検索お願いします)で、老犬の病気・介護など、飼い主さんが綴っておられます。辛い話もたくさんありますが、その中でも楽しみを見つけて歩いていらっしゃる姿に頭が下がります。そこで、老犬と暮らすことについて考えていたとき、タイムリーにもmomomamaさんのブログ『柴犬ももと仲間たち』で新聞に載っていた老犬についての話(元記事は→こちら)を読みました。
私自身も新聞の投稿ページは見逃していたので、もう一回開いて読みました。「苦しむ姿は見たくない」その気持ちはとても理解できます。でも、目の前からいなくなっても苦しんでいるのには変わりありません。楽になる(ような気がする)のは自分だけです。自己中心的です。わたくしは、本当に愛するならば、その苦しみを引き受け、一緒に苦しんでやるしかないと思っています。
現代は、老いること、死ぬことは不幸でかわいそうという風潮があり、『死』を言葉にすること、『死』に向き合うことを避けてきたように思います。私はそうは思いません。自分の両親、動物たち、いろいろな死に立ち会いました。語弊があるかもしれませんが、生とは反対に、死は穏やかで荘厳で美しいものです。とても悲しいことには違いありません。でも、『死に向き合うこと』は、悲しさ以上に『生きるということ』を再認識させてもくれます。
書いていて、今まで立ち会った死を思い出し涙が出てきました。自分の力不足であったこと、もっとこうすれば良かったという後悔、きりがありません。でも、『死』に立ち会わない方が良かったと思ったことはありません。うまく言葉では言い表すことができないのですが、ぜひ『死』というものをタブー視しないでほしい。『看取り』から逃げないでほしいと思います。
虹の橋のたもとで待っていてくれる子たちに胸を張って会うためにも、私は最期までそばにいます。最期になって慌てないためにも、元気なうちに我が子の老後・死というものを考えることも大切だと思っています。
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