震災から16年

こたつの中からこんぬつわ〜

おはようございます。
我が家付近はそれほどの積雪でもなく、今朝はすこし気温も高めだったようです。でも、道路には圧雪があるため、オットはいつもより1時間くらい早く家を出て行きました。というわけで、今朝の“ゆうすけ”散歩はわたくしの担当となりました。今朝は5時から起きていた“ゆうすけ”は散歩が待ちきれなかったようです。

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さて、今日はあの阪神淡路大震災のあった日です。もう16年にもなるのですね……。
ある新聞記事では「震災を知らない市民が4割を超えた」とありました。被災はしていませんが、当時の状況を知っている人間として、自分の経験したことを伝えていく必要性を感じます。

当時、わたくしは大阪のアパートで一人暮らしをしていました。普段ならまだ目も覚めない5時40分頃に目が覚め、もう一回寝ようとしていたその時、あの地震が起こりました。大阪でも揺れが大きく長く続いたためテレビで確認したところ、実家のある京都が震度6か7の表示でした(兵庫は揺れが大きすぎて速報が出ていなかった)。震源地は京都だと思ってあわてて実家に電話しました。5時50分頃です。このときはまだ電話も繋がりました。家族全員の無事を確認し、テレビで速報を見守っていると、職場の人から電話があり「電車が動かず出勤できない」とのこと。ちょうど、15日締めの勤怠処理の締め切り日だったためどうしても出勤する必要があった私は早めに駅へ向かいました。途中ですれ違ったおじさんが「電車は全部止まってるで」と教えてくれたので、また家へ引き返し、自転車で職場へ向かい7時半までには職場に着きました

わたくしは、某運輸会社の引越部門で働いていました。当時は携帯電話も普及していなかったので、電話回線がパンクし、なかなか繋がらない状態に入っていました。その日引越予定だったお客様の家に作業中止を連絡しようにも電話が不通。出勤していない社員の安否確認を最優先していた矢先、神戸に住んでいた社員から入った電話の第一声は「家が燃えている」でした……。テレビでは阪神高速が横倒しになっている映像が流れていました。何が起こっているのか理解できないというのが、その時の感想です。

その日からしばらくは、どうやって過ごしていたのか分かりません。ただ、犠牲者の数がどんどん増えていくのを見ていることしかできなかった。 情報が錯綜して必要な情報が伝わらないことが多かった。今でも、あのときの自分にもっと何かできたのではないかと悔いが残っています。

そして、動物たちと暮らしている今、被災したときにどうするのか。家族で話し合いシミュレーションすることが大切だと痛切に思います。被災時、携帯もパソコンも役に立ちません。いざというときの待ち合わせ場所を決めること、本人確認できる目印を持っていること、どこでも生活できるタフさを身につけることは重要です。アナログを再認識するときかもしれません。

最後になりましたが、震災で犠牲になられた方々に追悼の意を表します。

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